ネッシーと聞くと、思わず二度見したくなりませんか?「あのネッシー?」と聞き返したあなた、あんときの昭和の人ならネッシーが湖から長い首をだしているぼやけたあの一枚の写真を知らない人はいないでしょう。
ネス湖の静かな水面に突如として現れるその姿は、まさに「未確認生物(UMA)」の代表格。テレビや雑誌で取り上げられるたびに、好奇心旺盛な昭和の子供から大人までドはまりし、テレビ画面にかじりつうてその謎にクギズケでした。
今回は、1970年代から始まった空前のネッシーブームに迫り、その魅力と謎に包まれた魅力を振り返ってみましょう!
ネッシーについて
あまりにも有名なこの写真は、撮影者ロンドンの産婦人科医ロバート・ケネス・ウィルソンさんによるものです。(すでに著作権は切れています)
1934年の4月の早朝に、ネス湖を野鳥撮影のために訪れた際に撮ったものとのことで、同年4月21日付のデイリーメール紙に掲載されました。
その少し前にイギリスの地元紙「インバネス・クーリエ」紙が、地元のアルディー・マッケイさんのちょっとした記事を載せたのです。
「4月14日に、ネス湖の水中で鯨のような獣を見た。」と。
湖に浮かんだコブのようなものを目撃したマッケイさんは、腰を抜かしそうになった!というような小さな記事でした。
文明先進国に突如未知の怪物が現れたその小さな記事はセンセーションを巻き起こし、絶滅された恐竜が目撃されと調査団が組まれるほどとなり、1年後には世界中で話題のUMA(未確認生物)ネッシーとして大騒ぎになったのです。
これが日本にも飛び火してネッシーの大ブレイクとなりました。
ネッシーの当時の学者の様々な見解は?
当然、当時の学者も注目しました。
恐竜時代に栄えた大型水棲爬虫類のプレシオサウルスの生き残りではないか?
またはそれが時代とともに進化した姿なのではないか、など議論されました。
ネッシーが一気に世界に広まったわけ
イギリス発信だっから
このような未確認生物はとうぜん眉唾物ですが、文明先進国であったイギリスでの情報ということもあり、信憑性が高かったと思われます。
ネス湖周辺の観光地化が進んでいた
ネス湖はイギリスでも大きな湖で、風光明媚な場所として貴族にも代々愛され、湖畔にアーカート城が何世紀も前から立っています。その朽ち果てた城跡もあいまってミステリーさを煽りました。
先にでた、「4月14日に、ネス湖の水中で鯨のような獣を見た。」といったアルディー・マッケイさんは湖畔で民宿をされていた方です。
イギリス人にとっては親しみにあるこの場所での目撃談ということもあり、注目されました。
自動車とカメラが普及し始めていた
当時のイギリスや欧州では自家用車が普及し、ドライブによる観光が流行していました。まさに一大レジャーブームです。カメラも普及していたので、このネス湖もドライブがてらの観光に人気が出始めていたころです。
この静かで神秘的な湖にも民宿が増えだし、今までみたこともない生物を目撃したり、「これはネッシーなのでは?」という写真をとったりする人々の数も次第に増えていき、ますますこの地を訪れる人が増えてゆきました。
ネッシーはなぜ日本でブームになったのか
1970年代はまさにオカルトブーム真っ只中でした。面白いのはこれらのブームが決して子供だけのものではなかったということです。
多くの特集の番組が放送され、視聴率も高いでした。
ざっと上げるだけでも
- UFO
- 宇宙人
- ユリ・ゲラー(スプーン曲げ)
- 「超能力少年」清田益章
- ツチノコ
- 口裂け女
そこにネッシーがガッチリ!とハマったのはいうまでもありません。
ネッシーは結局いたのか。その真相
現実なんてそんなもの。
しかし、昭和の民はネッシーが実在るかどうかはさておき、ネッシーの伝説は彼らの心に深く刻まれ、古き良き時代の思い出として語り継がれていくのです。
ネッシーの影響はまだまだ終わりません。昭和からずっと謎の生命体がいると脈々と伝えられている場所があります。
鹿児島池田湖のイッシー
鹿児島の指宿のほどちかい南薩には知る人ぞ知る珍迷所、イッシーの観光地があります。池田湖です。みどり子も観光で行ったことがあります。
実は指宿は私の両親の新婚旅行先で(昭和初期の新婚旅行先のメッカ)思い入れがあったらしく、池田湖もよく旅行で連れてこられた思い出の場所なのです。
公共スピーカーからイッシー音頭が延々と流れていました。
イッシー音頭が最高すぎる
今日のあれコード2曲目は、浜崎一郎「イッシーディスコ」wまさかのA面「イッシー音頭」と歌い手が違うwそしてディスコ感が全くないあれさw #ij954 pic.twitter.com/rm895lxORW
— mo10fu3@白熊 (@mo10fu_3) May 22, 2017
かっこよすぎませんか。この昭和感。遠い記憶をたどってみたら
「早く、見たい、みたいたいたい、イッシー音頭~♪」というさびだったような。
池田湖の珍名所:イッシーの大鰻伝説
鹿児島県の池田湖には、ただの観光地では語り尽くせない珍名所があります。それが、伝説の未確認生物「イッシー」です!昭和時代のオカルトブームの中、日本中を賑わせたこの生物、実は大鰻(おおうなぎ)だという説が有力なんです。
イッシーの誕生
1978年、地元の漁師が池田湖で巨大な生物を目撃。「これはネッシーか?いやイッシーだ!」と、その生物を「イッシー」と命名しました。ニュースが広まると、瞬く間にイッシーは日本全国の注目を集め、池田湖は一躍有名になりました。
大鰻説の浮上
しかし、実際のところイッシーの正体は大鰻ではないかと言われています。池田湖には、体長2メートルを超える巨大な鰻が生息しており、これがイッシーと間違えられた可能性が高いのです。
1980年代にも、池田湖で大鰻が水面をうねりながら泳いでいる光景をたまたま訪れていた観光客がホームビデオで撮影したものが、地元のTV局で放送され、その巨大さはまさに「未確認生物」と言えるほどの迫力でした!ほんとに頭のない胴体だけのネッシーのような生き物が延々と湖を水しぶきをあげながら動いていました。
その映像は、たまたま観光できていた観光客の撮影しながらの大興奮の声も一緒にうつっていて、そっちのほうがおかしくて大笑いだったことを覚えています。
「わーあれイッシーだ!!本物だ本物だ!TV局にこの映像もっていくんだからちゃんとお父さんとってよ~!ほら!」って横で奥さんの声がずーっと入っていたのが忘れられません。
池田湖の魅力
伝説のイッシーのランドマークの銅像がとてもかわいらしいです。この前で撮影するのはお約束。なぜか皆、ここにくると自然に笑っているんですよね。
また私が行ったときは池田湖周辺のお店の中に大鰻が生きたまま水槽の中に展示されていてたのですが。胴回り80㎝とかかかれていて、それはもう丸太のような太さでした。何匹もいましたよ。
そして道路を挟んだドライブインには、近隣の農家で採れた紫芋がずらりと並んでいました。産地なんですよ。
20年前位の頃は、大袋500円位だったでしょうか。家に帰って焼き芋にしましたら、ものすごーく甘くておいしかったです。綺麗なアメジストのような紫芋、最高でした。
池田湖の周りには、少しさらに足を延ばせば自然の美しさを楽しめるスポットや知る人ぞ知る温泉も多く、リラックスできる環境が整っています。イッシーの真相に思いを馳せながら、湖畔の散策を楽しんでみてください。
まとめ
昭和に日本を席巻したネス湖の怪物ネッシー。スコットランドのネス湖に棲むとされるこの未確認生物は、1933年に地元紙に初めて掲載されてから、その神秘的な姿で世界中の人々を魅了しました。
特に日本では、昭和のオカルトブームの中でネッシーが大ブームに。テレビや雑誌で特集が組まれ、多くのオタクたちがネッシー探しに夢中になりました。科学的な調査や冒険者たちの挑戦にもかかわらず、ネッシーの存在は捏造だったことを知ったときはがっかりでした。
でもあの頃のときめきは嘘じゃなかった、ネッシーは永遠に語り継がれるべきユーモアとロマンに満ちた物語なのです。
またイッシーの伝説は、昭和のオカルトブームの象徴とも言える物語です。大鰻という現実的な説明があるんでネッシーより面白いかもしれません。それに鹿児島は鰻の産地でもあり、鰻がすごく美味しいんですよ。
枕崎も近いので、カツオのたたきも名物料理です。鹿児島の鰹のたたきはオニオンスライスがのっていて、ニンニクもがっつりついてます。私が行った店は、にんにくチップとオニオンスライスがこれでもかとのっけ盛りでした。
ポン酢をかけてもりもり、もう最高においしかったです。
池田湖で楽しんで、おいしものを食べて、名温泉もはいって砂蒸し風呂もしてカツオのたたきや紫芋のデザートを食べて、イッシーのおみやげを買って帰ればもう最高の思い出ができあがり。
なんだかネス湖より池田湖の記事になってしまいましたね。
池田湖に訪れた際は、ぜひイッシー探しの冒険に挑戦してみてください。もしかしたら、あなたも新たな伝説の目撃者になるかもしれません!
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