【昭和のデパート屋上遊園地】子供たちの楽園、今も語り継がれるその魅力

デパートの屋上遊園地 昭和ネタ

さてさて、昭和のデパートといえば、ただのショッピングスポットじゃなかったんですよね。
屋上はまるで別世界。カラフルな遊具が並び、昔の子供たちはそこがまさに天国だと思ってたわけですから。

デパートのドアをあけると瞬時に汗が引く巨大な冷気につつまれながら、たいくつな親の買い物につきあわされつつもなんとか耐えられたのは、屋上遊園地がまっていたから。
大人になった今でも、あのときめきは忘れられるものではありません。



今日は、そんなノスタルジックで心温まる昭和の屋上遊園地について、少し変わった角度から振り返ってみましょう。
あなたの子供時代のアルバムの片隅にも写っているのではないでしょうか?屋上遊園地が。

 昭和のデパート屋上遊園地は昭和のスターたちの原点だった

昭和時代の屋上遊園地、これがただの子供の遊び場と思ったら とんでもない、ここは多くのアイドルや歌手たちがスポットライトを浴びる前にデビューしたステージでした。
中森明菜ちゃんも八王子のデパートの屋上で歌ってました。


観覧車がゆっくり空を回り、子供たちの歓声が背景にある中で、未来のスターたちが小さなステージの上で歌ったりサイン会をしたりしてここから夢を掴んでいったのです。
松田聖子ちゃんもしかり。

 屋上遊園地のあった昭和のデパート6選

昭和っていえば、屋上遊園地のあったデパートが星の数ほどありました。
東京の日本橋三越や新宿の伊勢丹、梅田の阪急百貨店、九州の岩田屋、山形屋。名前を聞くだけで懐かしい空気感が漂うでしょ?
他にもこんなに。大人も子供と一緒に一息つける場所として、多くの人々に愛されていたのです。

福岡 北九州市黒崎そごう 屋上遊園地スカイパーク

ベビーブームの時代もあってか、子供だらけですね。

松屋浅草の屋上遊園地

よく見るとまだ人々は着物着てますね。

渋谷西武の屋上遊園地

高島屋の屋上遊園地

近未来的でかっこいい!昭和34年ってことは戦後からたったの14年でこれってすごくないですか。



西武デパートの屋上遊園地

しらたま

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阪急百貨店の屋上遊園地

あなたの思い出の場所、ありましたか?

昭和デパートの屋上遊園地の誕生の理由とは

屋上遊園地は戦後の復興の流れの中で、人々が新たな楽しみを求めていました。
デパートはそのニーズに応える形で、最初はちっちゃな遊具を数個置くくらいからスタートしたのですが、人気が出るとどんどん本格的なアトラクションが増えていったのだそうです。
いつしか人気に火が付き、集客装置としても大活躍だったとか。

昭和の規制が緩い時代のほんとうにひとときのオアシスだったのです。その1ページに幸運にも子供として遊べたとしたら、とても運が良かったのかもしれません。

昭和デパートの屋上遊園地のアトラクションはどんなの?

昭和の屋上遊園地には、ジェットコースターやバンパーカー、メリーゴーランド、水上ボート、電動カーなど、ワクワクするような遊具がいっぱいありました。
これらの遊具は、今考えるとちょっと危なっかしいけど、当時の子供たちには最高のアトラクションでテンションあがりまくりでした。
昭和はなにかにつけて小銭が大活躍、ゲームも遊戯にのるのも小銭が必要で両替機で何度も両替したものです。電話をかけるのも小銭が必要でしたよね。
私は巨大なパンダの動くぬいぐるみの乗りものが大好きでした。

現存しているデパートの屋上遊園地は4か所のみ

時代が変わって多くの屋上遊園地は役割を終えて閉園していきましたが、日本百貨店協会加盟の全170店舗のうち、常設の屋上遊園地が今も営業しているのは、以下の4か所となりました。

  • 松坂屋 大阪高槻店
  • 松坂屋 名古屋店
  • 金沢市 大和香林坊店
  • 松山市 いよてつ高島屋
  • 長崎市 浜屋百貨店(2024年5月6日に50有余年の歴史と共に営業終了)

デパートの屋上遊園地が各地で姿を消しつつあります。
なぜ昭和の屋上遊園地が今でも特別な場所としてこれほどまでに記憶されているのか?
それは、単なる遊び場を超えた、心の中に深く刻まれた「楽園」だったから。
なんとか今もその昭和の屋上遊園地の精神をうけつぐ場所が現存してほしいものです。

【昭和のデパート屋上遊園地】のまとめ

昭和のデパート屋上遊園地、それはただの遊び場ではなく、時代を超えて心に残る特別な存在でした。

都会の真ん中で、コンクリートの海に浮かぶ小さな楽園。今思い返しても、そのカラフルな遊具やキラキラしたネオン、子供たちの笑顔と歓声であふれていました。
当時の子供たちが今や大人になり、自分の子供や孫に昔話を語るとき、その話には屋上遊園地のはなしもあることでしょう。

この屋上遊園地が今も色褪せない理由は、単に楽しかったからだけではありません。そこは多くの人々にとって、家族や友達との大切な絆を深め、日常から離れて夢中になれる場所だったから。
そこには在りし日の家族の笑顔があったり、幼い兄弟の顔が浮かんだりします。

昭和の屋上遊園地は、過去のシンボルでありながら、今なお多くの人々の心の中で生き続けている、その魔法のような魅力は、決して忘れられることのない宝物なのです。